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シシィの星と髪型、ウエスト:皇妃エリザベートの美容法
2026年10月2日更新
髪に散りばめた「シシィの星」で知られる皇妃エリザベートは、身長1.73m。当時の女性としては際立って背が高く、成人後のほとんどの期間、体重を約50kgに保っていました。最も細かった1859年から1860年にかけて、ウエストは40cmでした。それ以外の時期の現存する衣服はウエスト47〜49.5cmで、ヘッセン大公子は彼女を「ほとんど人間離れしたほど細い」と評しています。
このページが存在するのはこうした数字のためですが、それは物語のいちばん小さな部分でもあります。
数字と、その背後にあったもの
40cmのウエストは、特定の、そしてつらい時期のものです。フランツ・ヨーゼフのイタリアでの軍事的敗北、立て続けの3度の妊娠のあとの夫からの離反、そして自分の子どもの養育をめぐる姑との負け戦。それらが重なった時期でした。その年、彼女が自分で管理できた唯一のものがコルセットの締め付けだったのです。
当時の普通のコルセットは、前面をホックで留めるものでした。エリザベートはパリで、より硬く前面が一枚になった革製のコルセットを作らせました(「パリの高級娼婦のもののように」)。布では負荷に耐えられなかったからでしょう。締め上げるのに1時間近くかかることもありました。革製のものを着けたのは数週間だけで、革ですら耐えられなかったことがうかがえます。
1862年8月には、女官が「皇妃はきちんと食事をとり、よく眠り、もうきつく締め付けてはいない」と報告しています。ウエストが40cmに戻ることは二度とありませんでした。一方で、体重が約50kgを超えることも決して許しませんでした。体重計がそれを示しそうになるたびに「断食療法」が始まりました。ほぼ完全な絶食か、半生のビーフステーキを搾った汁を薄いスープにしたもの、あるいは牛乳と卵だけの食事です。肉そのものには、しばしば嫌悪感を覚えていました。
晩年にはさらに悪化します。1日に3回も体重を量り、体重が増えないよう蒸し風呂に入り、1894年には43.5kgまで落ちていました。
過食と思われるエピソードもあります。1878年には、お忍びでレストランに入り、焼いた鶏肉とイタリア風サラダをシャンパンとともに平らげ、最後にかなりの量のケーキを食べて、旅の同行者たちを驚かせました。1881年にはイギリスのカントリーハウスを買い、居間から台所へ下りるらせん階段を造らせて、人目につかずに台所へ行けるようにしています。
歴史家たちはこのパターンを率直に読み取っています。心理学の教授ヴァルター・ファンデレイケンは「数多くの文書が、彼女の体重増加に対する強い恐怖と、神経性やせ症に特有の精神病理学的変化を繰り返し記述している」と書いています。
髪型と髪のお手入れ
日々の髪の手入れには数時間かかったと伝えられています。髪は若いころのブロンドから栗色へと濃くなり、手の込んだ三つ編みに結われていました。髪の重さで頭痛がすると訴え、リボンで髪を天井や壁のフックに結びつけて、頭皮にかかる重さを和らげていました。
髪結いはフランツィスカ・ファイファリク。ブルク劇場で舞台の髪結いをしていたところを引き抜かれた人物で、ほぼどこへでも皇妃に同行しました。指輪をはめることは禁じられ、白い手袋の着用を義務づけられ、毎回の手入れのあとには、抜けた髪を銀の器に載せて皇妃に見せなければなりませんでした。
洗髪は2週間に1度の一大行事で、卵とコニャックを混ぜたものが使われ、その日の予定はすべてキャンセルされました。
エリザベートはこの拘束された時間を語学の勉強に使いました。英語とフランス語を流暢に話し、ハンガリー語に加えて現代ギリシャ語も身につけています。ギリシャ語の家庭教師コンスタンティン・クリストマノスは、彼女自身の言葉を書き留めています。
「髪結いには2時間近くかかり、髪が忙しくしている間、私の頭は何もしていません。私の頭の中身が髪を伝って、髪結いの指へと逃げていってしまうのではないかと心配です。だから終わったあとに頭痛がするのです。」
彼はその光景も描写しています。部屋の中央に運ばれ白い布をかけられたテーブル、白いレースの化粧着に包まれた皇妃、ほどかれて床まで届き、全身を包み込む髪。
そのほかの美容法
化粧品や香水は控えめに使い、素のままの美しさを見せることを好みました。それでも、宮廷薬局や自室で女官が調合した数多くの製品を試しています。お気に入りは「クレーム・セレスト」だったようで、白蝋、鯨蝋、スイートアーモンドオイル、ローズウォーターでできていました。
いちばん奇妙なのは夜の習慣です。姿勢に良いと信じて、枕を使わず金属製のベッドで眠りました。毎晩つける革のフェイスマスクの内側には、生の子牛肉かつぶしたイチゴが貼られていました。念入りにマッサージを受け、ウエストを保つためにすみれ酢やりんご酢に浸した布を腰の上に当てて眠ることも多く、首にはクンマーフェルト洗顔水に浸した布を巻いていました。毎朝冷たいシャワーを浴び、これが晩年には関節炎を悪化させました。毎晩オリーブオイルの風呂に入りました。
かさばるのを嫌ってペチコートなどの下着は一切着けず、ウエストバンドやしわを避けるため、文字どおり服に縫い込まれることもよくありました。
姿を消す技
エリザベートは写真を撮られることを嫌うようになり、扇や日傘ですばやく顔を隠して肖像を撮らせませんでした。「32歳以降は一切の肖像を拒んだ」という話がよく知られ、あちこちで繰り返されていますが、私たちが確認できた史料は、この嫌悪とそれが後年のものだったことは記録しているものの、具体的な年齢は記していません。そのため、ここで年齢を挙げることはしません。
いずれにしても結果は同じです。広く出回っているエリザベートの画像は、ほとんどすべてが35歳未満の女性の姿です。伝説がこれほど固定されたままなのは、それも一因です。
博物館で見られるもの
ホーフブルク宮殿のシシィ博物館は、まさにこうした素材の上に成り立っています。数字、美容法、そして生身の女性とイメージとの隔たりです。彼女の運動室は皇帝の居室に残っていて、吊り輪と肋木は復元ではなく、見学ルートの一部です。
この博物館が掲げる目的は1950年代の映画に異を唱えることであり、美容法はその最も有力な証拠だと知ったうえで訪れてください。